KANSYAして
2008.05.05(13:52)
子どもの日って「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」 日
なんだって!
知ってた?
もうね、感謝しなさい。ウェルカム、ってなもんですよ(?)
思い起こせば幼少の頃は、
母は子どもにとって絶大な存在でした。
次男が2歳か3歳だったかぐらいの頃、
「目つぶるの好かんっちゃんね。」と言ったんです。
「だって目ぇつぶったら、お母さんがおらんくなるっちゃもん」
う〜ん・・・(感・無・量)
世界に必要なのは、自分自身とお母さんなわけですよこの頃は。
しかも目に見えないものは彼の中では存在しないわけですね。
まだ記憶の容量が少ないのかな?
見えないものでも存在はしているっていう概念がないのかな?
それほどに、時にはこっちが少々しんどくなるくらい母を必要としてたのに、
「私も少しくらいの自由が欲しいわあ」、なんて泣き言言いたくなるぐらい手がかかっていたのに、
それがだんだん大きくなって、
いっちょまえに自分ひとりでなんでもできると思う頃には、
今度は母親を疎ましく思ったりするわけですよ!
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もうね、あれだけベタベタまとわりついていたくせに、
中学になったら、横に並んで歩くのも嫌がるようになる(笑)。
話しかけても、うざったそうな顔をする。
「お母さんになにがわかるのか?」って思ってるんですよ。
これも成長の過程だと
仕方なく思ってました。
ある問題が起きるまでは。
その問題は、できれば起きてほしくない類のものでしたが、
そこで親が逃げずに一緒になって考えて行動したことで、
次男と私たちは一丸となりました。
親は思春期に子どもの壁になって立ちはだかる必要がある
と、偉い方のお話で聞きました。
守るための壁ではありません。
子どもに制約を与えるための壁です。
と。その壁を子どもが押したり叩いたりして乗り越えようとする。
成長はそこから生まれるのだ
共感だけをしようとしてすべてを許してしまう今の親では
子どもたちは乗り越えようとする力がつかない。
そんな風な話でした。
けれど目の前にもっと大きな壁が立ちはだかったときに
親までがそちら側に回ってしまったらどうでしょう?
子どもは行き場をなくしてしまいます。
問題が起きたとき、親が子どもを甘やかすのではなく、
凛とした態度で、
その問題に向かう後姿を見せたときから
次男の反抗はなくなりました。
親は敵ではなく味方なんだと認識したんでしょうね。
それからは少々制約をつけても
理不尽にはねのけることはなくなりました。
元々スポーツはいつも応援してきたので
「こういうことで行き詰っている」
なんてことも話してくれます。
勉強のことも、
わからないなりに色々調べてベストな方法をみつけようとしているのをわかってくれているのか、
ドリルなんか買って渡しても
「はいはい仕方ないねえ」って感じでやってくれます。
もちろん全てを話してくれているとは思いませんが、
今は以前に比べたら良い関係じゃないかなあ、と思ってます。
反抗期の程度は、それまでの親子関係で違ってくるそうです。
次男のときは、長男を育てた経験からの安心で
ちょっと目を離したことがあって、
(その間自分の趣味に没頭してしまってました)
やっぱりそのツケが回ってきたなあ、という感じでした。
抑えつけてもダメ、目を離しすぎてもダメ、
手をかけすぎてもダメ、手をかけなさすぎてもダメ。
子育ては難しいですね^^;。
まだまだひとり立ちさせるためのステップとして
一戦も二戦も交えないといけない事柄があります。(もちろん勉強以外です)
でも根底に信頼関係があれば、
喧嘩も後に残りませんよね!
後々感謝されることを願いつつ
うるさい母親にもなってやろうかと思います。
あ。もちろん勉強以外で、です(笑)





