はじめに
はじめに
2007.11.13(22:51)
よそでブログは書いているのですが、あまり子育てネタは書きにくいというかハズカシイというかなんというか。 でもコドモを持つ親の脳内メーカーは(笑)半分以上がコドモで占めているんですよね〜〜。
もちろん仕事のこともあるし自分の趣味もしっかり持ってます。
でも、一番嬉しいことはコドモのこと。一番悲しいのはコドモのこと。
どこの親御さんもそうなんじゃないかなって思います。
書きたい!でもあからさまに書くのははばかられる。
そんなわけで別に書くことにしました。
うちには大学生と高校生の息子がいます。
長男がハタチになりました。
まだまだ(主に金銭的に)手がかかりますが、よくまあここまで育ってくれたもんだとしみじみ。
最近小さかった頃のこととかよく思い出すんですよ。
次男がまだ高校なのでもう一息というか、まだまだ昔を懐かしむだんじゃないんですが、私も歳とったんだろうなあ。
赤ちゃんやら小さい子供がやたら可愛いです。
我が子が小さい頃はそんな余裕なんてなかったのにね。
もういっかい子育て・・・はしたくないけど(笑)
どんな風にやってきたか、後悔や懺悔やもちろんリアル進行中のことも含めて書いていきたいと思います。
うまくまとまるかなあ?
まとまらないだろうなあ(笑)
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ブログ開設一ヶ月
2007.12.13(18:00)
子育てを振り返ると称してFC2でブログを始めて一ヶ月が経ちました。ブログランキングのにほんブログ村に登録したのは始めてから1週間ほどしてからのことですが、
ここ数日大学受験のランキングが
1位になりました!!
これもひとえに見に来てくれるかた、コメントくれたりクリックしてくれるひとのおかげです。
本当にありがとうございます(低頭)。
コメントに書いてくださる方はわかるのですが、それ以外はどこのどなたが訪問してくださってるのかもわからず、どんなかたがポチっとランキングバナー押してくれてるかも判らないのですが、
管理ページにカウントされる数が増えるたびに「ありがとう」とつぶやいてます。
ご褒美をもらった子どものような気持ちです。
いったいなんのご褒美なのかはよくわかりませんが(笑)
よかったら今日もポチッとご褒美待ってます☆
↓ ↓
もちろん読んでもらってるってだけで嬉しいです。
ほんとうにほんとうにありがとうございます。 ⇒ブログ開設一ヶ月の続きを読む
父の描いた肖像画
2007.12.15(03:23)
私のブログ村、受験ブログのイメージ写真は、私の顔ではありません。父が自分の目が完全に見えなくなる前にと一生懸命絵を描いており、
ある日ぷっつり描かなくなったのですが、(その時点では見えていました)
最後に私と孫にそれぞれ渡してくれたものです。
たぶん、なにかのお手本を写して描いたものだと思います。
だからどこかの知らないひとの顔なのでしょうが、
なんとなく私の母にも似ています。
自分が描く絵は自分に似るともいいますが、
確かに父の顔にも似ています。
ランキングに参加したときに画像を載せられるのが判って、
迷わずこれを選びました。
父がどんな思いでこれを描いたのかはわかりませんが、
それは父の存在証明であり
私はできれば多くの人にそれを見てほしいと思ったのでした。
そんな思いも手伝って毎日記事を書きました。
ありがたいことにブログ村を通して私のブログに来てくださるかたもたいへん多く
意識するしないに関わらずそのかたたちはイメージ画像を見てくださってることになります。
父の家は貧しくて、本当は高校も行けないくらいだったのを先生の計らいで進学できたそうです。
大学には当然行けず、
高卒でも上を望んで勉強すれば偉くなれる、(職種は伏せますが)公務員になりました。
そして努力して若くして自分が行ける一番上に到達しました。
厳格な父に私は若い頃にはずいぶん反発しました。
仕事のうえでも趣味の広さや深さでも父は完璧でした。
そしてコンプレックスの裏返しか、私は父とは正反対のひとと結婚しました。
そんな父が二度目のクモ膜下出血で倒れ手術したのは7年前でした。
10日も目が覚めず、もうだめかと思いました。
そして奇跡の回復を遂げ、出なくなっていた言葉が出るようになり、無くした記憶を少しづつ取り戻せたのは、
ひとえに父の前向きな生き様でした。
悲観主義者のような父だと思っていたのに、どこにそんな生命の強さがあったのか
驚くばかりでしたが、
次々と襲い掛かる病気のオンパレードで入退院を繰り返し、耳が聞こえなくなっても、視力が弱くなっても、しっかり歩けなくなっても
知的好奇心だけはなくさなかった。
どんなにつらそうに見える状況でも
楽しむことを見つける人でした。
絵を始めたのもそのひとつ。
写真も趣味でしたので若い頃は自宅で現像、焼付けをしていましたので写真もやまほどありました。
その写真の整理を始めたり、過去の新聞の切り抜きを1枚1枚ファイルしてみたり、部屋の模様替えをしてみたり
腐ることなく、投げやりになるでなく
いつもなにかをやっていました。
私はそんな父を忘れてはいけない。
父のような人間にはなれないけれど、父の子どもであったことはまぎれもない事実です。
ひとの命はいつか終わりを告げる日がきます。
いつか父がこの世からいなくなったとしても、
父は私の中にも存在する。
今はそう思ってます。
重い話ですみません。
読んでいただいてありがとうございます。
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